スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険 [谷川嘉浩] 1

哲学・倫理学

今回紹介するのはこの本。

現代人は、

SNSの発達により、

孤独でいる時間が少なくなりました。

それにもかかわらず、

なぜか寂しさを感じてしまっている人が多いです。

他人とつながっているのに、

なぜか寂しいのです。

スマホの普及により、

多くの変化がもたらされました。

スマホは便利ですが、

デメリットも多く存在します。

スマホの普及によって現代人が失ったものは何なのか、

そして私たち現代人はどうスマホと向き合っていけばよいのかを解説していきます。

不明瞭ですぐには消化できないものがなくなってきている

現代社会では、

前提知識がなくても誰でも楽しめるコンテンツがたくさんあり、

精神的・時間的にコストがかかるものが見向きもされなくなりました。

常に単純な刺激に接することによって、

「消化しきれないもの」は無視されるようになってきているのです。

簡単に消化できないものを消化不良のままにしておく。

簡単にわかった気にならず、

安易な説明ならいっそ謎のままに留める。

このような姿勢が大切だと筆者は述べています。

つまり、

自分がスッキリするために、

浅い答えを出すのではなく、

しばらくモヤモヤして、

より深い答えを出すべきだということです。

現代社会は一問一答というような簡単な形式で出来ていません。

高校までの勉強みたいに、

決まった範囲の事柄を暗記しておけば何にでも対処できるというように、

現実はできていません。

この世界は一問一答で動いていないし、

特定のノウハウや思考法に沿って構築されてもいません。

「リスク」というものは予測不可能なものであるから、

「リスク」と呼ばれます。

簡単に物事を予想できていれば、

人類はここまで困ってはいないはずです。

このような状況の中で、

安易に答えを出すというのは危険です。

すぐに浅い答えを出すよりも、

より深く考え、

モヤモヤしていた方がよいのです。

すぐにSNSに発信することの危険性

自分が悲しい出来事に遭遇した時に、

スマホで誰かとつながり、

刺激や娯楽で自分を取り巻くことによって、

早々にスッキリするべきでしょうか?

一時的には、

悲しみを娯楽で覆い隠し、

スッキリするかもしれません。

しかし、

このような行動は、

自分の気持ちとしっかり向き合うことから逃げています。

自己を揺さぶり、

まともではいられないほどのショックを受けているのにもかかわらず、

無理に平静や落ち着きを装い続けることは、

必ずしも望ましくありません。

深い悲哀や切実な苦痛のきっかけとなった体験と向き合い、

苦しみながら自分なりの置き所を少しづつ見つけていくことをせず、

ただ衝撃に蓋をするだけでは、

出来事を「なかったこと」にしているに過ぎないからです。

そういう人は、

しばらく経った後に、

抑えがたい悲しみに襲われ、

抑鬱状態になることもあります。

娯楽で悲しみを覆い隠すことは、

問題の解決にはなりません。

きちんと自分の問題と向き合い、

少しづつ自分なりの置き所を見つけていくことが大切なのです。

孤独がなくなり、自分と向き合うこともなくなった

孤独というものは、

悪いものであると捉えられがちです。

しかし孤独は、

自分と向き合うために大切なものです。

衝撃と向き合うには孤独が必要であり、

いつでも何でも安易にネットに発信したり、

誰かとすぐにつながってばかりいたりするのは、

何か大事なことを見失うための努力をしているようなものです。

スマホに慣れた現代人は、

動揺への対応については不器用に思えます。

安易にネットでつながることは、

自分自身と向き合うことを妨げてしまいます。

適切に孤独の時間を作ることによって、

自分と向き合い、

問題を解決する時間が生まれるのです。

まとめ

・不明瞭ですぐには消化できないものがなくなってきている

・すぐにSNSに発信することの危険性

孤独がなくなり、自分と向き合うこともなくなった

自分と向き合うためには、

安易にネットにつながるのではなく、

孤独になる必要があるのですね。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

次回に続きます。

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