・しょせん「私」とは利己的な存在である
・意志とは無意味で無価値である
・幸福に生きたいのなら感情の原因を探せ
皆さんは意志についてどのような認識を持っていますか?
私たちは何かしらの意味があるから、
意志が存在していると考えます。
ところが、
ドイツの哲学者のニーチェは、
意志とは無意味で無価値なものだと考えました。
「いやいや、そんなわけないでしょう」と思うかもしれませんが、
ニーチェは論理的にこれを説明しています。
哲学は皆さんの常識を根底から覆すパワーがあります。
哲学を学ぶことで自分の人生を変える新たな発見をしてみませんか?
ということで、
今回は『一度読んだら絶対に忘れない 哲学の教科書』を解説していきます。
それでは解説していこう!
しょせん「私」とは利己的な存在である
意志は欲求の形で存在します。
私たちの究極の欲求は「自己保存」であり、
自己保存のためにプラスになると感じられるものは快としてこれを求め、
マイナスに感じられるものは苦としてこれを避けます。
つまり、
意志とは自己保存の欲求に基づく快苦の計算・判断です。
イギリスの哲学者のホッブスは、
「私」とは自己保存の欲求であると考えました。
そのため、
「私」以外の存在は道具であり、
手段であると捉えました。
なんだか嫌な考えだなぁ・・・
そう思うかもしれませんが、
この考え方にはそれなりの理由があるのです。
それは、
誰も自己保存の欲求を無視して生きることはできないということです。
自己保存を無視する生き方をすると、
自分の生命が脅かされてしまいます。
自分の生命の存在が脅かされることのないように、
私たちは行動せざるを得ないということです。
意志とは無意味で無価値である
私たちにあるのは、圧倒的な無意味さだけです。
それに何らかの意味を見出そうとする努力が、
これまでの哲学でした。
しかし、
意味を見出すのではなく、
無意味さを直視して肯定すること、
それが真理であり、
私たちが唯一獲得できる価値です。
ドイツの哲学者のニーチェは、
私たちの意志は無意味だと述べました。
無意味であることを直視することで、
真理へ到達できると考えました。
確かによくよく考えてみると、
意味というものは勝手に人間が作りでしたものであって、
もともとこの世界には存在していなかったのかもしれません。
つまり、
真理を知るためには、
意味を取っ払った自然な状態の世界を見ることが必要なのかもしれませんね。
意味にとらわれず、ありのままに物事を見たほうが良いのかも・・・
幸福に生きたいのなら感情の原因を探せ
人間は物事の原因を必然として理解すればするほど、
感情に動かされることが少なくなる、
とスピノザは言います。
当たり前だと感じてることには、
いちいち驚いたり大げさに反応したりしないということです。
例えば、
Aさんに理不尽に怒られたとします。
すると自分はAさんが嫌いになります。
嫌いになるとAさんのことを考えたときにイライラします。
イライラするとAさんを害してやりたくなります。
つまり私たちは、
理不尽に怒られると、
自然と人を害したくなってしまう性質を持っているのです。
つまり、
Aさんを害したくなってしまったときには、
「Aさんに理不尽に怒られたことが原因で、Aさんを害したくなっているのだな」
と客観的に見ることで、
怒りに対処することができ、
感情に振り回されないようになるのです。
自分の感情には、それが起こる原因があるんだね。
その原因を特定することで、物事を正確に判断できるようになるということか。
まとめ
・しょせん「私」とは利己的な存在である
・意志とは無意味で無価値である
・幸福に生きたいのなら感情の原因を探せ
いかがだったでしょうか?
私たちが当たり前だと思っていたことは、
哲学の世界では否定されることが多くあります。
私たちの持っている常識は、
意外にも間違っている可能性があるので、
自分の持っている常識を疑ってみることが大切である思いました。
最後まで読んでくれてありがとう!
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