スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険 [谷川嘉浩] 2

哲学・倫理学

前回に引き続き、

紹介するのはこの本。

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スマホは私たちにとって、

メリットにもデメリットにもなりえます。

現代社会において、

スマホを完全に断つのは不可能です。

そのため、

私たちはスマホと上手に付き合っていかなくてはなりません。

スマホの問題点や、

私たちがスマホ時代にどのように生きていけばよいのかを解説していきます。

SNSの使い過ぎによって寂しくなる

何度もSNSを更新してしまうのは、

たいてい拭い難い不安があるからです。

疎外の間隔を持たずに済むように、

取り残される不安を覆い隠すように、

いつもオンラインでいようとしている。

寂しく感じているからこそ、

SNSを更新せずにはいられなくなってしまいます。

ですが、

このような行為は逆効果である可能性があります。

なぜなら、

SNSを使うほど幸福感は減退していく傾向にあるからです。

Facebookが恐怖をやわらげててくれるとしても、

そもそも不安を生み出しているのがFacebookのほかならないわけです。

だから、

寂しさの対策としてSNSに訴えるのは、

二日酔いがつらいから迎え酒を飲むみたいなやり方なんですね。

寂しさから逃げるためにSNSを使用することは、

ますます事態を悪化させかねないのです。

寂しいからSNSを使い、

SNSを使うから寂しくなるというような負のループに陥りかねません。

SNSの使い過ぎは寂しさを加速させるのです。

心の声に従ってはいけない

私たちは一枚岩の存在ではありません。

自分の中には、

複数の自分が存在します。

そのため、

心の声に従うというようなアドバイスは、

自分の中にある多様性を否定してしまいます。

「自分の内面と向き合え」「心の声に従え」という助言は、

「自分の声だと今の自分が思っているもの」を増幅させ、

自分の中にある葛藤や対立を早々に手放すことを助長しかねません。

つまり、

「内なる心に従え」は、

自分を一枚岩にしてしまう考えであり、

モノローグ(独り言)的であり、

自己完結的です。

よりよい答えを出すためには、

心の中の葛藤や対立が欠かせません。

自分を一枚岩として考えてしまうと、

それがなくなってしまい、

安易な答えを出してしまう可能性があるのです。

何か足りないと感じるのは重要なことに取り組んでいないから

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スマホ時代に生きる私たちは、

なぜかふとした時に、

何かが足りないと感じてしまいます。

その原因がよくわからず、

不安になってしまったりする場合もあるかもしれません。

「退屈」という気分も、

「何かが足りない」という気分も、

結局、

私たちが重要な何かに取り組んでいないということを示唆していると考えられます。

これまでの言葉を使うなら、

「何か足りない」という気分は、

「モヤモヤ」「消化しきれなさ」「難しさ」「かみ砕きにくさ」に取り組んでいないことからくる不安に他なりません。

「何か足りない」という気分は、

自分は何か難しいことに挑戦する必要があることを教えてくれているわけですね。

「何か足りない」と感じ、

SNSを開いても問題は解決しません。

その場合必要なのは、

何か難しいことに取り組むことがなのです。

まとめ

・SNSの使い過ぎによって寂しくなる

・心の声に従ってはいけない

・何か足りないと感じるのは重要なことに取り組んでいないから

今回紹介した他にも、

・私たちはゾンビ映画ですぐ死ぬやつみたいな生き方をしている

・ごちゃごちゃ集まって、(人の話を聞かずに)がちゃがちゃ話す社会

・完全にはなりえないからこそ人は知ろうとする

など興味深い話がありました。

気になった方は、

是非読んでみてください。

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